详细介绍
小档案
増田 恵子(ますだ けいこ、本名:桑木 啓子 - くわき けいこ、1957年9月2日 - )は日本の歌手、女優、タレント。アイドルデュオ「ピンクレディー」のケイとしても活躍。静岡県静岡市葵区出身。
小简介
1957年(昭和32年)9月2日、小林松平ふさ江夫妻の二女として現在の静岡市駿河区八幡で出生。
1961年(昭和36年)4月14日、父松平死去。増田家の養子となり、焼津市に転居。
1963年(昭和38年)4月、焼津南幼稚園入園。
1964年(昭和39年)4月、焼津市立焼津南小学校入学。
1970年(昭和45年)4月、焼津市立焼津中学校入学。
1971年(昭和46年)4月、静岡市立末広中学校転校。
1972年(昭和47年)4月、根本美鶴代(未唯)と出会う。
1973年(昭和48年)4月、常葉高校(現常葉学園高校)入学。未唯とともにヤマハのオーディションで「ジョニーへの伝言」「恋の衝撃」を歌って優勝。
1974年(昭和49年)、浜松のヤマハボーカルスクールへ未唯と通い始める。未唯とデュオを組み「クッキー」の名でヤマハポピュラーソングコンテストに出場。曲は「恋のレッスン」。
1976年にピンクレディーの“ケイ”としてデビュー。数々の大ヒットを記録。パートナーの未唯と共に一世を風靡した。(※ピンクレディーでの活躍はピンクレディー#略歴を参照)1981年3月31日のピンクレディー解散後はソロ歌手となり、デビュー曲の「すずめ」が40万枚のヒット。その後も「女優」、「FURINE」などをリリースした。
1986年年頃から芸能活動はほぼ休業状態に入り、しばらく目立った活動は見られなかったが、1989年に入り、IVS音楽出版バックアップのもとフランスデビュー。フランスでは仏語6曲、英語4曲でレコーディングされたアルバム『Simples Confidence』(全10曲)"KEIKO MASUDA 増田恵子"がJUST'IN(ジュスティーヌ)より発売。プロモーションを兼ね仏国営放送出演、アルシュでのパフォーマンスなどが行われた。 同アルバムの日本盤は『Voice Cologne』とタイトルが変わり徳間ジャパンより発売された。またアーティスト名もフランス盤の"KEIKO MASUDA 増田恵子"から、日本盤では"kéi"に変更。同アルバムのシングルカットはIVS音楽出版の関連会社、IVSテレビ製作株式会社の携わる番組などでエンディングテーマや挿入歌として使われた。このころ歌手としては"kéi"、女優としては"増田恵子"と芸名を使い分け本格的に活動を再開、その健在ぶりをファンに印象づけた。
2001年もは舞台にも復活、その後は声優にチャレンジするなど幅広い分野で活躍。2002年6月23日、音響会社「ギルドジャパン」の桑木知二社長と結婚。2003年から2005年のピンクレディー復活コンサート以後はステージ上での軽快なトークが受けて、テレビのバラエティー番組への出演が増え、タレントとしての活動が目立つようになった。2004年9月、自叙伝『あこがれ』を出版。2005年12月7日、ソロとして15年ぶりに新曲「奇蹟の花」をリリース。2008年8月6日には19年振りのソロアルバム『Now & Then もいちど遊びましょ』をリリースした。