详细介绍
FOXPILL CULT
ギターボーカル、ピアニカ、パーカッションの3人からなる
アヴァンギャルドポップバンド
サイケデリックから孵化した宗教テープを記録中。
-MEMBER-
西邑卓哲
< Vocal>
プエル
< Noise>
モチヅキマサル
< Percussion>
<孵化までの歴史>
(宗教テープ配布開始までの長い歴史)
2008~9年頃
米国版NYLONやファッション誌にも紹介されたホラーパンク/アヴァンギャルドバンド「DARKSIDE MIRRORS」や
ゴス/ポジティブパンクの代表格でV系の元祖とも呼ばれる「MADAME EDWARDA」等で
ネオサイケなギタリストとして活動していた
西邑卓哲を中心に結成。
2009年11月
Sheena & The Rokketsのシーナ氏のBIRTHDAY PARTYにて
「Sun eat Sun」「CRAMP HEAD」を初演奏。
(衣装提供はSexy Dynamite London)
2010年1月前身バンド「FOXPiLL」結成
メンバーは
Guitar:西邑卓哲
Vocal:LUCY MIRROR(ex:DARKSIDE MIRRORS)
Drums:高津洋平(ex:13th MOON)
Bass:モリタノウ
映像製作から音源製作まで完全D.I.Yの
ストレンジなロックンロールバンドとして活動を始める。
01月01日
原宿ラフォーレ前、今は無きGAPビル内にあった巨大レストラン
ELEPHANT CAFE最終営業日にて1st ライブ。
2010年4月
バンド結成と同時に自主企画
「POTLATCH DEAD-ポトラッチデッド-」を開始。
だが第一回目に女子トイレの壁一面にウ○コ塗りたくり事件が勃発。
第二回目ではシークレットゲストでSHEENA&THE ROKKETSのシーナ氏と鮎川氏が
登場するも主催者が酔っ払いに羽交い締めにされたままイベントが終わるなど
当初は問題企画として扱われる。
(その後、イベントはサイケ/アンダーグラウンドの聖地東高円寺U.F.O clubに拠点を移動)
2011年
2月
完全インディーズながらスペースシャワーTV 「真夜中のNEXUS」 にて
ライブの模様が放映
3月
大地震の影響でメンバーが地方へ長期避難する事になり活動停止に。
東京に残った西邑は決まっていたライブを敢行する為に
FOXPILL CULTとして活動を開始。
最初の振替ライブでは元暴走族のカリスマ的な某バンドの前座で
200人のアレコレを浴びながらCDJを片手にソロでライブを決行。
6月
プエルがノイズ&ピアニカで加入。
シンセベースと鉄板などジャンク度の強い実験期に突入する。
10月、新進気鋭のアングラ劇団「虚飾集団廻天百眼」による劇場本公演
「少女椿(原作:丸尾末広)」に楽曲を提供。
オープニング曲等に使用される。
10月
自主企画の拠点をサイケデリックの聖地、U.F.O clubに移転。
この時に西邑がファンであったRUINS aloneにゲスト出演を依頼した事がきっかけで数年後、
伝説のゴスバンドPhaidia(ギリー+吉田達也+ナスノミツル+西邑卓哲)に西邑が参加する事となる。
2012年
2月、New Wave of New Romantic期開始。
2013年
2月15日、1st ALBUM「NEW ROMANCER」発表
ZENI GEVA , MUNIMUNIをゲストに迎え、レコ発企画。
アルバムのポスターがJR池袋駅、高円寺駅、
新大久保駅、海浜幕張駅、市ヶ谷駅に張り出される。
8月西邑が虚飾集団廻天百眼の公演
「奴婢訓(作:寺山修司 音楽:JAシーザー」にタカアキ役で
舞台出演しドラムと歌を担当する。
サントラではJAシーザー楽曲の全ての編曲と演奏を担当。
本格的に西邑が音楽監督として活動開始。
それを期にNew Wave色の強かったバンドの音楽性に変容が始まる。
12月06日
「ポトラッチデッドvol.14 NEU DANSE-NEW ROMANCER is DEAD-」開催
New Wave of New Romantic期終了。
12月8日
モチヅキ マサル(ex-ニンゲンカクセイキ)がパーカッションリーダーとして加入。
12月28日カルト期へ移行。
2014年
1月
「動くとウ○コが漏れそう。家を出れない。すまない。」
という理由で当時のメンバーがライブをドタキャンして解雇され
「漏らすならステージで漏らす派」だけが揃う現在の
西邑卓哲プエルモチヅキマサル
という3人編成になる。
2月 西邑が虚飾集団廻天百眼の本公演
「冥婚ゲシュタルト」の全楽曲の作曲&音楽監督を担当。
その後もモチヅキと西邑のダブルドラムによる舞台出演(廻天百眼 実験公演「臘月記」)と楽曲制作&プロデュース。
練馬美術館での「あしたのジョー、の時代展」にて行われた
昭和精吾(元、演劇実験室天井桟敷)氏による
「力石徹への弔辞(1970年3月力石徹告別式での弔辞朗読再演)」への西邑の出演などと共に
バンドも劇場性と前衛度が増してゆく。
7月
モチヅキがライブ中にドラムに火をつけたところ炎上し過ぎて火災報知機が作動。
ビル全体に警報が流れるもバンドは気付かず演奏を続行。
10月17日
サイケデリック畸形オペラ「邪宗門」をライブ形式にて先行初披露。
自主企画では前売チケットが当日に売り止めになる。