详细介绍
小档案
天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 - )は、埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身の歌手である。本名、斎藤 眞理(さいとう まり)。 結婚時には青木 真理(あおき まり)であった。国立音楽大学附属中学校高等学校声楽科卒業。
1970年代前半に一世を風靡したNo.1アイドル。後に続くアイドル歌手のスタイルを作った。キャッチフレーズは「白雪姫」。
デビュー当時の所属事務所は当時の名門、渡辺プロダクションであった。現在の所属事務所は有限会社ケイワイである。
大事件
梶原一騎の著書によれば、自身原作の「太陽の恋人」の主人公の名前を当時デビュー予定の彼女の芸名に使いたいという申し出があったとのこと。
1971年に放送されたTBS系の人気番組『時間ですよ』(第2期,第3期)の従業員役(川口晶の次のレギュラー)のオーディションを受け、西真澄と一緒に最終審査まで残ったが、合格したのは西真澄であった。それを見た主演の森光子が彼女を出演させることを提案、『時間ですよ』に堺正章の憧れる「隣のまりちゃん」役として出演し、一躍脚光を浴びた。
同年10月1日にアイドル歌手として「水色の恋」(この作品は後に盗作ではないかと騒がれることもあった)でデビューし大ヒットした。以後、「ちいさな恋」、「ひとりじゃないの」、「虹をわたって」、「ふたりの日曜日」、「若葉のささやき」、「恋する夏の日」、「空いっぱいの幸せ」、「恋人たちの港」からなる一連の大ヒットからすれば売れ行きは芳しくなかったものの「恋と海とTシャツと」、「想い出のセレナーデ」といった佳曲を発表する。南沙織、小柳ルミ子とあわせて『三人娘』と呼ばれ一大センセーションを巻き起こした。ヒット曲は主に『森田公一とトップギャラン』で知られる森田公一が手掛けていたことは有名。オリコンシングルチャートでは、5曲が1位を取っており、この記録は後に松田聖子に破られるまで、女性ソロシンガーの最多記録であった。70年代初期に於ける天地の人気は老若男女へと及び、正に空前絶後の国民的スーパーアイドルとして君臨。
1972年、松竹映画『虹をわたって』に主演。
1972年から1975年にかけて、テレビで冠番組の『真理ちゃんシリーズ』(TBS系列、毎週木曜日19:00-19:30)をもつ。「真理ちゃんとデイト」(1972年10月5日-1973年3月29日)、「となりの真理ちゃん」(1973年4月5日-9月27日)、「とび出せ!真理ちゃん」(1973年10月4日-1974年3月28日)、「アタック!真理ちゃん」(1974年4月4日-9月26日)、「はばたけ!真理ちゃん」(1974年10月3日-1975年3月27日)の5シリーズをリリース。
1972年、第14回日本レコード大賞大衆賞受賞。「水色の恋」ピアノ演奏と「ひとりじゃないの」歌唱を披露。
1973年、松竹映画「愛ってなんだろ」に主演。同年、「若葉のささやき」(編曲/竜崎孝路)が第15回日本レコード大賞編曲賞受賞。
1973年のブロマイド年間売上枚数が女性部門でトップになる。ブームの頃は、人気アイドルとしてキャラクターグッズ(文房具や玩具)が多数登場、さらにはブリヂストンからは自転車「ドレミ真理ちゃん」なども発売された。今では当たり前のアイドルグッズのはしりといえる。
1974年、アニメ『星の子チョビン』でナレーターを担当。
1978年、甲状腺の病気で一時芸能界から離れ(多忙すぎて精神に異常をきたしていたとも言われる)、1979年に復帰するがヒット曲が出ず自然消滅。1982年9月に再々デビューした。フジテレビ系の『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。
1984年にヌード写真集を発表、1985年ににっかつのポルノ映画『魔性の香り』に主演するなど、お色気路線にイメージを変える。
1986年に、都内(原宿、国立、吉祥寺等)で「しもん」というカフェバー(現在は閉店)を経営する青木保と結婚。翌年女児を出産するが、1996年に離婚した(本人曰く、元夫はお金に汚く、本当に嫌な夫だった)。
1990年代前半にはすっかり太ってしまい明石家さんま司会の番組にしばしばゲスト出演し、天然ボケ風のキャラで人気を博すが、姿を消す。その天然ボケキャラは中村玉緒が受け継ぐことになる。その後、ダイエットに成功しダイエット本を出版したり、ダイエット商品の広告で雑誌によく登場するようになる。だが数年後、リバウンドによってか以前より太った姿でテレビ出演。デビュー当時に良きライバル関係だった小柳ルミ子はある番組で天地のあまりの変貌ぶりに驚愕していた。「笑っていいとも」にもレギュラー出演。
2001年まで数年間、ラジオ日本の「天地真理の深夜発熱烈熱愛大放送」(木曜深夜1:00-)という番組のパーソナリティーを務めていたが、同年5月に更年期障害のため降板した。降板直前の頃の回では怒ってしまったりということもあったという。
2003年1月からは、同じくラジオ日本の「今夜もノリノリ歌謡曲(深夜1:00-)」の金曜奇数週をパーソナリティーとして担当し、再スタートを切った。
近年は上沼恵美子等が司会を務める関西ローカルのバラエティ番組にゲスト出演することがある。その中でも全盛期からの変貌ぶりをよくネタにされている。
2006年10月1日(歌手デビュー曲「水色の恋」発売日から丸35年目の日)には、35周年記念CD-BOX『天地真理 プレミアムボックス』が発売された。
紅白歌合戦には1972年、1973年、1974年と三度出場している。一度目は「ひとりじゃないの」、二度目は「恋する夏の日」、最後の出演が「想い出のセレナーデ」である。この「想い出のセレナーデを歌ったときは、司会の佐良直美が「微笑みといえば天地真理さん」と紹介したが、歌っているときの天地は憂いを帯びた表情が大半でそれが魅力の一つでもあった。